我が家には、もうすぐ20歳になる娘がいます。
出産で正産期と呼ばれている38週に産まれたのですが、
その割には小さく産まれてきた娘。
そして黄疸も酷く、保育器で過ごす事が多かったです。
娘は主人と私にとって初めての子供なので、毎日が初めてづくしで
1日があっという間に終わっていました。
なので私は「24時間じゃ足りないよ」とよく主人に愚痴をこぼしていました。
そんな娘もすくすくと育って、産まれてからもうすぐ20年経ちます。
小さく産まれたけど今は私の身長を抜かして主人の肩くらいまで大きくなりました。
本当に色々な事がありました。
嬉しかった事、楽しかった事、心配した事、辛かった事などここには書ききれないくらいです。
そんな娘との思い出についてこれから書いていこうと思います。
娘を妊娠して出産するまでのこと
娘を妊娠した時のこと
娘を妊娠したとわかったのは寒い冬のある日の事でした。
熱っぽくて体がとにかくだるい。
朝、起きるのも辛い。
最初は風邪だと思っていた私。
病院を受診すると診断はまさかの妊娠。
当時私と主人は結婚の話はしていましたが、まだ籍を入れていませんでした。
2人で何度も話し合い、自分達の気持ちを両方の実家に伝えました。
主人の両親は驚きつつもとても喜んでくれました。
私の両親はまだ私が未成年っていう事もあり、渋りつつも自分が決めた道ならと許してくれました。
そして私の体調が安定した日に婚姻届を市役所に提出して夫婦になりました。
娘を妊娠中のこと
介護職をしていた私は、自分が妊婦だということを忘れる事が多く、
妊娠・出産経験のある先輩によく怒られていました。
お腹が目立ち始めると、利用者さんも「楽しみだね」とにっこりしてくれました。
しかし、妊娠をよく思わない仲間がいたのも事実です。
「妊婦ってそんなにえらいの?」
「妊婦はみんなに大事にされていいわね」
そういう風に言われて傷ついた事もありました。
いよいよ産休が近くなり、預け先を探し始めました。
両家の両親は現役で働いていたので厳しい状況でした。
なので住んでいる市と職場のある市に保育園の申し込みをしたのですが
まさかの全滅。
大好きだった仕事を退職するせざるを得なくなりました。
時間に追われていた毎日から急に追われなくなったので、
慣れるまでは違和感を感じながら過ごしていました。
子供が産まれたらしばらく行けなくなる所へ体調を見ながら出かけたり、
性別が判明していたのでベビー用品をそろえたりしました。
娘を出産した時のこと
32週目に入って妊娠高血圧症候群になり、37週で入院が必要になったので、
産院の病室で過ごしていました。
いつものように診察を受けると医師に「状態が悪いので明日出しましょう」と
言われました。
まだ心の準備がきちんとできていなかった私。
そのまま出産当日を迎えました。
陣痛促進剤を点滴しましたが、本格的な陣痛になかなかつながらず、
結局つながったのは夜になってしまいました。
「痛いよ」とは聞いていたので覚悟はしていたもののこんなに痛いとは
思っていなかった私。
弱音を吐くと「赤ちゃんも頑張っているのよ」と助産師さんに怒られて
しまいました。
そして最後は吸引してもらい、娘は大きな産声をあげて産まれたのです。
やっと会えたという気持ちで嬉し涙があふれました。
育児スタートして現在まで
新生児から3歳までのこと
黄疸が酷いうえに体重が減ってしまったので、
私より2週間遅れで退院してきました。
親思いのよく眠る子でした。
しかし、授乳はいつも吐いてしまうので心配になり、
1ヵ月健診で相談すると噴水のように吐いている訳でもないし、
体重も増えているから大丈夫と言われてホッとしました。
それからすくすくと育ち、寝返り、はいはい、伝い歩き、
1歳の前日に自力で歩けるようになりました。
育児サークルにも入り、私にも娘にも友達ができました。
色んな所へみんなで行ったりしました。
今、みんなどうしているかなって思っています。
2歳で始めたトイレトレーニング。
少しずつできるようになったものの幼稚園入園までに卒業する事が
できませんでした。
幼稚園から小学生の頃のこと
トイレトレーニングを卒業できないまま幼稚園に入園しました。
毎日、替えのパンツをビニール袋に入れて持たせていました。
1週間後「もう大丈夫ですよ」と担任の先生。
これには私も主人も驚きました。
あんなに苦戦していたのに・・・。
負けず嫌いの性格の娘。
友達と何かに負けると悔しそうに話していました。
良いのか、悪いのか未だに疑問ですが・・・。
年中になってすぐ息子が産まれて、娘はお姉ちゃんになりました。
赤ちゃん返りが酷かった。
おもちゃや哺乳瓶は投げる、息子をたたくなどなど。
しかし、娘と2人の時間を作るようになってから少しずつ落ち着き始めて
息子を可愛がるようになりました。
今でも1番ほほえましいなって思っている事があります。
それはベビーベッドに2人仲良く並んで眠っていた事です。
小学生になり、勉強に頑張ってついていっていました。
新しい友達もでき、楽しく通学していました。
しかし、小学3年生のある日突然不登校になってしまったのです。
原因が担任の先生が初めて男性で、その先生が教室で怒鳴った事。
娘の親友がその時娘は泣いていたと教えてくれました。
担任の先生に連絡をして、まずは手紙から始めて玄関先、部屋の前と
距離を少しずつ縮めていきました。
娘も恐怖感が少しずつ薄れていき、最後は担任の先生と一緒に登校して
いきました。
それからはそういう事もなく、中学生になります。
中学生から現在
親友も同じ中学校だったせいかすぐに慣れて楽しく通学しました。
部活も自分の好きな事ができる部活に入部し、中学3年生には部長となり
みんなをひっぱっていました。
中学3年生になると進路です。
学校の日以外は遊び中心だったせいか厳しいものでした。
しかし、娘本人は何とかなるさっていう感じでした。
ちょうど反抗期真っ只中。
何か言えば、口喧嘩したり取っ組み合いの喧嘩になってしまいます。
2学期の途中でようやく娘は自分はかなりまずい状況だという事を
自覚したのです。
それから猛勉強の毎日。
無事に合格して高校生になります。
入学した高校は勉強に熱心な所で基礎から教えてくれるので
娘の成績はぐんぐんと上がっていきました。
そして、第1希望の今通学している大学に合格して
大学生生活を楽しんでいます。
まとめ
もうすぐ20歳になる娘の思い出を書いてきました。
こうして妊娠判明から現在を振り返ると娘の成長とそれに伴って
色々な事があったなって思いました。
そして20歳といえば私が娘を出産した年齢でもあります。
もうそんな年齢になったのかと思うとこれからの娘はどんな風に
また成長していくのだろうかと楽しみになります。
好きな事をたくさん学んで吸収して、卒業後それを活かせる仕事に
就いて活躍してほしいなって思って応援しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。