みなさんは子育てで不安だった事ってありますか?
今回は私が子育てで不安だった事について書こうと思います。
初めての子育てなうえに両家の両親は働いていて
主人は仕事が多忙で夜はほとんど家に帰ってきたと
思ったら寝るという感じ。
他に頼る人がいない環境で育児をしていました。
今でいうワンオペ育児でした。
「これでいいのかな?」「こういう時はどうしたらいいんだろう?」
と思いながら育児書を読んだり育児雑誌を読んだり
育児サークルをきっかけに仲良くなった先輩ママ友達に聞いてみたり。
試行錯誤の日々でした。
今は大きくなり以前よりかは手がかからなくなりましたが
やはり不安な事はつきないものです。
不安な事ができると1つずつ解決していきました。
どういう風に解決したのかも一緒に書きたいと思っています。
これからママになる方、そして今育児真っ最中のママさんの
少しでも力になれたらいいなと思っています。
妊娠編
職場の報告と仕事をどうするか?
妊娠が判明し介護職員として働いていたので職場に妊娠の報告を
しないといけません。
介護職員は利用者さんをベッドから車いすに移乗させたり
入浴の介助もしないといけないので結構体に負担がかかります。
そしてこれからどうしよう。
これを機に退職するかそのまま続けるか。
一晩真剣に考えました。
「このまま続けよう」という結果を出しました。
報告はどうしよう。
続けると決めた以上黙っておく訳にはいきません。
まずは上司である主任に報告する事を決めていつも通り出勤。
しかし主任は有休でお休み。
さて誰に報告しよう。
その時に目に留まったのが事務仕事をしていた看護師長。
「よし。看護師長に報告しよう。」と思った私は看護師長に声をかけました。
「どうしたの?何かあった?」と看護師長。
言おうと決めたけどやっぱりどうしようっていう不安が。
でも言わないといけない。
「実は先日病院へ行きましたら妊娠している事は判明しまして
今妊娠7週目に入った所です。」と報告。
それを聞いた看護師長は
「おめでとう。仕事を調整しないといけないね。」と笑顔で返してくれました。
翌日朝の申し送りの時に「ご報告がある人がいます」と看護師長が
振ってくれたので妊娠報告をきちんとする事ができました。
体に負担がかからないよう仕事の内容も考えてくれました。
陣痛に対する不安
周りから「陣痛の痛みは半端ないよ」と聞いていた私。
痛みがとにかく苦手な私は不安でした。
診察で「陣痛の痛みが怖くて不安なんです」と言いました。
そうすると医師は
「その痛みがあってこそ赤ちゃんと対面した時の感動は最高だよ」
と言いました。
確かに医師の言う通りその痛みを乗り越えてこその赤ちゃんと
対面とも思いました。
しかし痛みに対しての不安は募る一方。
そんな時育児雑誌で「和痛分娩」という分娩方法を知りました。
これなら私頑張れるかも。
次の診察の時に「和痛分娩で産みたいです」と言いました。
医師が顔を曇らせたので理由を聞くとこの産婦人科では和痛分娩を
行っていないという事でした。
「どうしてもというのであれば紹介状書きますよ」と医師。
今までのずっと診てもらってきたしでもやっぱりそこは譲れない。
そう思った私は紹介状を書いてもらいました。
そしてインターネットで近くで和痛分娩可能の産婦人科を探しました。
見つけて本当にできるのか分娩予約状況などを電話で聞いて受診する事に
決めました。
受診の日迷ってもいいように早めに家を出ました。
そして産婦人科に着き、受付に紹介状を出して尿検査を出して
体重と血圧を測りました。
診察で呼ばれました。
「和痛分娩でこの子を産みたいんです」と私は言いました。
「そうですか。うちには麻酔科の先生もいるので大丈夫ですよ」と医師。
ちゃんと麻酔科の先生もいるなら大丈夫だと安心し分娩予約金と電話で聞いていた和痛分娩代(私がかかった産婦人科は10万でした)を払って帰りました。
保育園探しと妊娠高血圧症候群
月日は流れ妊娠9ヶ月に入ってすぐ看護師長に呼ばれました。
「育休を取るか退職するか決めてほしい」と言われました。
育休を取ってこのまま続けたかった私は住んでいる市役所の保育課へ行き
保育園の申し込みをしました。しかし全部落ちました。
さてどうしよう。
看護師長に相談した所
「ここの市の市役所で保育園の申し込みをしてみたらどうか」
というアドバイスをもらい市役所へ行き保育園の申し込みをしました。
まさか2度目の全部落ち。
両家の両親にもお願いする事できないし。
悔しいけど退職するしかないかと思い退職届を出しました。
そして少し肌寒くなった10月。
思わぬ事が起きました。
むくみと尿検査でたんぱくがでているのが続いていました。
医師から「妊娠高血圧症候群です」と一言。
帰宅してその病気について調べました。
塩分を控えて天気の良い日は外に出て散歩をちょっと長めにしたり。
しかしその努力は叶う事はありませんでした。
「羊水と赤ちゃんの体重が減っているのでこのままでは良くないので
明日出産しましょう」と医師。
出産に対して心の準備ができないまま出産日当日。
硬膜外カテーテルを入れてもらい陣痛促進剤の投与が始まりました。
しばらくしてお腹の張りと生理痛より少し強い痛みを感じました。
助産師さんに聞くと「それが陣痛ですよ」と教えてくれました。
「これが陣痛なんだ」と私。
時間が経つごとにだんだんとその痛みは強くなっていきました。
麻酔科の先生を呼んでもらい麻酔を投与しました。
しばらくすると痛みが和らぎました。
「私頑張れるかも」
その時に心の準備ができました。
そして陣痛が始まって8時間後に娘が大きな産声をあげて誕生しました。
生まれたばかりの娘を抱っこして
「この子がお腹にいたんだ」と涙がこぼれました。
育児編その①
初めての育児で右も左もわからない
初めての育児。
入院生活中は娘は黄疸が酷かったため保育器で過ごしたので
母子同室にならないまま退院してきたので自宅での育児が
とにかく不安でした。
「これであっているのかな」と育児書とにらめっこをしながらの育児。
でも育児書通りにはいかない育児。
「どうしたらいいんだろう?」
でも相談できる人はいないしともんもんとしながら過ごしていたある日。
娘の乳幼児健診の案内が届きました。
娘を抱っこ紐で抱っこして乳幼児健診の会場へ行きました。
身長と体重を測ってもらい、発達と発育を見てもらい保健師さんと面談。
「こういう事って話した方がいいのかな?」
順番が回って来るまで考えました。
そして前の人が呼ばれて入って行きました。
「これは言うべきだ。」
そう決めた私は順番が回って来て面談室に入りました。
「何か悩み事とかありますか?」と保健師さん。
「実は初めての育児でとても不安でいっぱいでどうしたらいいのか
わからないんです。相談できる相手もいないので。」と私。
それを聞いた保健師さんが一緒に考えてくれて地区の保健師さんを
自宅に訪問に来てもらうという結果になりました。
少し気持ちが楽になりました。
そして後日地区の保健師さんが訪問に来ました。
保健師さんは乳幼児健診の保健師さんから聞いた話、家族構成等を
聞いてきました。
私は育児で不安になっている事を全て話しました。
そしてしばらく話していると保健師さんが笑うのです。
不思議に思った私は「どうかしましたか?」と聞くと
「お母さんの話に夢中になっていて私自己紹介していませんでした」と
バッグから名刺を出して自己紹介をしました。
「変わった苗字ですね」と私。
「初対面の人によく言われるんですよ」と保健師さん。
それから娘が3歳になり主人の仕事の関係で引っ越しをする前まで
その保健師さんとの付き合いは続きました。
ママ友が欲しい
娘を出産した時に知り合ったママ友さんはいましたが
お互い自宅が遠くてなかなか会えず音信不通になっていきました。
娘と2人で過ごす日々。
私もママ友が欲しい、娘にも同じくらいの友達を作ってあげたい。
保健師さんに「ママ友ってどうやって作るんですか?」と聞いてみました。
「皆さんそれぞれですが地域で育児サークルがあるのでそこに参加してみたらどうでしょう?」と提案されました。
早速インターネットで検索。
自宅から近い所でやっている育児サークルを見つけました。
そして代表者のママさんに連絡をしました。
「1度見学に来て下さい」と言われ日時を教えてもらい見学に行きました。
ママさんの年齢層もお子さんの年齢層も幅広くアットホームな感じ。
ずっと私や家族、保健師さんとしか接する事がなかった娘。
そんな娘が自分からお友達の輪に入って一緒に遊び始めました。
代表者のママさんと話をしました。
どんな事をやっているのか色々聞きました。
これなら母娘そろって大丈夫かも。
早速入会届を出して育児サークルに参加しました。
私にもママ友ができそして娘にもお友達ができました。
自由時間は子供たちは遊んでママさん達で悩みや愚痴など色々話しました。
自宅が近くてママ同士もお子さん同士も同い年のママ友さんと
そこで知り合う事ができお互いの自宅を行き来する仲になりました。
今はお互い引っ越してしまいましたがラインで繋がっていて
悩みや愚痴やお互いの子供の成長等を話しています。
トイレトレーニング
娘も2歳半を迎え周りのお友達も始めたしそろそろうちも始めてみようって
思いました。
育児用品店でトイレトレーニング用のパンツとおまるは娘に選ばせて
買い揃えました。
そしてスタート。
やっぱり始めたのはいいけど失敗ばかり。
最初はパンツが濡れていても気にする事なく遊ぶ娘。
「早かったかな」と思いました。
でも根気が必要っていう事をママ友さんに教えてもらって
そのまま続けました。
そして濡れても気にする事なく遊んでいた娘が
「ママ出ちゃった」と事後報告ですが教えてくれるようになりました。
「次は出そうになったら教えてね」と新しいパンツに取り換えながら
娘に言いました。
おしっこもうんちもできない。
そんなある日の事、娘がうんちの時はカーテンの影に隠れてしている事に
気がつきました。
そしてカーテンへ向かおうとした娘に「うんち?」と聞いたら
「うん」とうなづきました。
「トイレ行ってみようか」と声をかけたのですが残念ながら
トイレに向かう途中でもれてしまいました。
もっと早く声をかけないとだめかな。
育児用品店で濡れると泣いてるパンダが浮かび出て来る
トイレトレーニングパンツにつけるパッドを見つけました。
もしかしたらそれを見たら娘は少し気持ちが変わるかもしれないと
思って購入して早速つけて見ました。
そうするといつも通り漏れて濡れて事後報告をしてきた娘。
脱がす時にパッドに泣いたパンダの顔が浮んでいたので
「〇〇(娘)見てごらん。パンダさん泣いてるよ。」と教えると
「本当だ。パンダさん可哀想。」と言いました。
「パンダさん泣いちゃう前にトイレに行こうね。」と言うと
うなずく娘。
でもやっぱり上手くいきません。
娘には早すぎたのかな。
でももうすぐ幼稚園に入るし卒業しないと・・・。
そんなある日ママ友の自宅に遊びに行ってトイレを借りた時に
壁を見てびっくり。
シールがぎっしり貼られていたのです。
ママ友に聞いてみたら「できたら好きなシール貼っていいよって事に
してるの」と教えてくれました。
よし。この方法でやってみよう。
トイレの壁に紙を貼って娘の好きなキャラクター等のシールを買い揃えました。
そしてトイレで出来た時に
「できたご褒美に〇〇(娘)の好きなシール1枚貼っていいよ」と言いました。
「いいの?」と娘は沢山のシールから自分が好きなシールを見つけて貼りました。
「今度からトイレで出来た時はここに好きなシール1枚貼っていいよ」って
言いました。
その効果があったのかおしっこはまあまあ出来るようになりました。
うんちがどうしても上手く進みません。
変わらずカーテンの影でしていたので向かおうとしている娘に声をかけ
トイレへ。そしたらトイレで初めて出来ました。
思いっきり褒めてあげました。娘はとても嬉しそう。
褒めるといいかも。
出来る度に褒めていたらうんちは完ぺきになりました。
でもおしっこがまだ。
幼稚園の入園に間に合いませんでした。
担任の先生に話をして取り換えのパンツを2枚持たせて登園させる事に
しました。
カバンにはビニール袋に入った濡れたパンツ。
そんな日がしばらく続いたある日カバンを見ると入っていないのです。
担任に電話したら「今日はちゃんとトイレで出来ましたよ。お友達がしているのを見て〇〇(娘)ちゃんちょっと恥ずかしくなったのかもしれませんね。」と。
それ以降濡れたパンツは入っておらず連絡帳を見ると
「替えのパンツは必要ないです。」と書いてありました。
夜もおねしょする事なく3歳半でトイレトレーニング卒業しました。
ゴールまでが長かった。
幼稚園入園までに取れてほしかったっていう気持ちがあって後半は焦っていた
のでそれが良くなかったのかなって反省。
お友達効果が一番娘にとって大きかったのかもしれません。
育児編その②
仲の良かったママ達からの突然の仲間外れ
幼稚園入園と主人の仕事の関係で引っ越しをしたので
育児サークルを退会。
新たな土地でのママ友探し。
でも今回は幼稚園で娘のお友達関係ですぐに出来ました。
自宅を行き来したりクリスマス会をやったり・・・。
私も娘も楽しく過ごしていました。
そして年中さんに進級した娘。
新しいクラスでの保護者会があったので参加をしました。
年少さんで仲のよかったお友達と同じクラス。
始まるまでいつも通りおしゃべりをしていました。
そこへ新しいママさんが入ってきました。
一緒におしゃべりをしているとその新しいママさんは
みんなの年齢を聞いてきました。
私もみんなと同じく答えると新しく入ってきたママさんは
「若いママさんは大変よね」と言ったので
「そうでもないですよ」と私は答えました。
そこから今まで一緒に話していたママ達の様子がおかしい事に気づきました。
新しいママさん入れて4人でおしゃべりしていたのに私を除いた3人でおしゃべりを始めたのです。
それはママの年齢の話をした後からです。
話に入ろうとしようとすると話題を変えたり私が話を振っても無視。
そのまま保護者会が始まり帰宅。
その後会って挨拶してもよそよそしい態度をする今まで仲よくしていた
ママ達。そしてその時に入ってきた新しいママさんが来ると私から離れて
嘘のように楽しくおしゃべりを始めました。
育児サークルで仲良くなったママ友に相談をしました。
そしたら「ママの年齢を知って離れていくなんてそんなの本当のママ友じゃないよ。相手にしない方がいいよ。」と言われました。
確かに私も言われてみてそうだなって思いました。
携帯からそのママ達の連絡先を削除しました。
ママ友は今いるママさんだけでいいや。
バス通園だから幼稚園に行く機会も少ないし。
そして娘が年長になった時に新しいママ友が出来ました。
上のお子さんが小学生で下のお子さんが娘と同い年でした。
でもすぐには信用できなかったのです。
理由は年中の時の事があったからです。
しかしそのママ友は違いました。
色々相談や悩みにのってくれるし愚痴も聞いてくれる。
そして思い切って年中の話をしました。
「そういうママも中にはいるんだよね。年齢を知ったとたん離れていく。
私も経験あったよ。そんな人はいつかは自分に返ってくるからね。」と
言いました。
この人は信用しても大丈夫だ。
そう思いました。
そしてお付き合いは今現在も続いています。
2人目不妊
娘に弟妹を作ってあげたいねって主人と話して
2人目を作る事にしました。
でも1年経っても2年経っても妊娠する事はありませんでした。
娘はすぐ出来たのになぜ?
そんな時に育児雑誌で2人目不妊っていう言葉を知りました。
2人目不妊で結構悩んでいる人多いんだなっていうのが第一印象でした。
そして記事を読み進めていきました。
もしかして私たち夫婦も2人目不妊・・・。
そう確信しました。
主人に話すと「気にし過ぎだよ。そのうち出来るって。」と軽く済まされて
しまいました。
そして娘が年長さんにあがった夏のある日。
体調がすぐれない日が続きました。
もしかして・・・。これって・・・。
薬局へ行き妊娠検査薬を試してみました。
トイレに置いてしばらくして行って妊娠検査薬を見たら
縦棒が2本。
そうです。2人目の妊娠をしている事が分かったのです。
嬉しくて携帯を持ってきて写真を撮りました。
仕事から帰ってきた主人に報告。
「まじで?」とあまり信用がなかったので携帯のカメラで撮った妊娠検査薬を
見せると「本当だ。やったね。」と喜んでくれました。
順調にすくすくとお腹で育って
大きくなったお腹を娘はなでなでして下の弟妹の誕生を
楽しみにしてくれていました。
そして翌年の春の快晴で気持ちが良い日に息子が無事産まれました。
赤ちゃん返り
育児サークルに在籍していた時に2人目の先輩ママが
「下が産まれてから上が赤ちゃん返りして困ってるのよ」と愚痴って
いました。
それを思い出した私は実母にも聞いてみました。
「あなたも赤ちゃん返りが酷くて大変だったのよ。」と言いました。
娘はこの子が産まれたら赤ちゃん返りするのだろうか・・・。
不安になりました。
そして息子が産まれて退院してからです。
いつもは自分で幼稚園の準備をしていた娘がしなくなったのです。
「準備して。バス来ちゃうよ。」と声をかけても娘は準備をしません。
それどころか「ママ、出来ない。」と言い始めたのです。
「今まで自分で準備出来たじゃん。」と私が言うと
「だって出来ないもん。」と駄々をこねて半べそをかきはじめました。
バスの時間が迫っていたので一緒に準備をしました。
もしかして・・・。
不安がさらに募りました。
そんなある日息子に授乳をしていると娘がそばにやってきました。
「一緒に見たいんだろうな」と思って娘を側に座らせました。
そしたら次の瞬間、娘は息子のほっぺを叩きました。
「〇〇(娘)なんで叩くの。ダメでしょ。」と叱りました。
そうすると娘は台所へ行き、消毒してあった哺乳瓶などを投げ始めました。
哺乳瓶は割れて破片が飛び散り、乳首などが床に転がりました。
「投げたらだめでしょ。ママも〇〇(息子)も困っちゃうよ。」と言うと
娘は寝室へ行ってしまいました。
授乳を終えて片づけをして寝室にいる娘の所へ行きました。
娘は布団の中で泣いていました。
「〇〇(娘)何であんな事したの?」と娘に聞くと
「だって〇〇(息子)ばっかりなんだもん。」と娘。
その言葉を聞いて私はハッとしました。
確かに娘の言う通り息子が我が家に来てから私はもちろん主人も
両家の両親もみんな息子の方へ行き、言葉悪いですが娘はほったらかし
になっていました。
「ごめんね。ママ気づかなかったよ。」と言うと娘は布団から出てきたので
抱きしめました。
今まで独り占めできていたみんなを息子に取られてしまった事。
そしてそれに対して嫉妬していた事。
仕事から帰ってきた主人と電話で両家の両親にその事を言いました。
「確かにそうだね。」とみんな口をそろえて言いました。
そしてそれから息子が寝ている時や1人で遊んでいる時は
娘と2人の時間を作りました。
一緒に絵本を読んだり折り紙をしたり幼稚園であった事を
聞いたり・・・。
それからそういう事はなくなりました。
そして息子の事を可愛がるようになりました。
ある朝ベビーベッドを覗くと息子の隣ですやすやと眠っている娘。
そんな2人の姿を見て私はほっこりとしました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
私の妊娠中~育児まで不安だった事について書いてみました。
初めて妊娠はとにかく何もかも不安で仕方なかったです。
妊娠後期には妊娠高血圧症候群になり塩分を控えたりいつもの
散歩を長くしてみたりしましたがダメでした。
なので2人目を妊娠した時はとても気を遣っていました。
育児は右も左もわからない手探り状態でスタート。
でも勇気を出して不安だと言うことを保健師さんに話した事によって
少しずつ不安が1つずつ減っていきました。
育児サークルもとてもアットホームな雰囲気で居心地がとても
良かったです。みんな今どう過ごしているんだろうなって思いながら
書きました。
2人目不妊はとても辛かったです。
周りはどんどん2人目、3人目妊娠していくのに自分は全く。
報告を聞くたびに心がギュッと苦しくなった事を今でも覚えています。
これでだめだったら娘もいるしいいよねって諦めた翌月に息子が
お腹にいる事がわかってとても嬉しかったです。
そして赤ちゃん返り。
あれから哺乳瓶はプラスチックに変えました。
まさか娘が哺乳瓶を投げるとは思っていもいませんでした。
ずっと独り占めできたみんなを息子に取られてしまって嫉妬して
いた事に全く気が付きませんでした。
上の子との時間も大事にしないといけないんだなって勉強になりました。
育児=育自って言うけど本当だなって思いました。
子どもと共に成長する。
不安な事は溜め込まずに誰かに助けを求めてみてください。
その不安に手を差し伸べてくれる人が必ずいます。
必要なのは少しの勇気。
皆さんにとって楽しい育児(育自)ができますように。
最後まで読んでいただきありがとうございました。