私達夫婦が決めた夫婦ルールについて




あなたはご主人(奥様)と夫婦のルールって決めていますか?
私達夫婦は夫婦のルールを決めています。

決めたきっかけはルールを作らないと喧嘩が絶えず夫婦の間に
溝が出来てしまうのではないかと思い主人と2人で話しました。
主人は悪く言えば自由人タイプ、私は大きな事ではない限り
気にしないタイプです。

夫婦ルールを決める時はとても時間がかかりました。
お互い話し合ううちにあれもこれもと予想以上に出てきた
からです。

そしてお互い納得いった上で夫婦ルールを決めました。
家事や育児、喧嘩の時、帰りが遅くなる時は必ず連絡する、
高価な物を買う時や契約をする時は一度相談をしてからにする
などなど。

もちろん夫婦ルールを破った時はペナルティをつけました。
そうしないと一生懸命作ったのに意味がなくなってしまうと
私は思ったからです。
破った時はペナルティをつける事を話すと主人も納得してくれました。

夫婦ルールを決めてからの私達夫婦。
決める前よりも喧嘩の回数が減りお互いストレスに感じる事が
なくなりました。
夫婦ルールを決めてよかったなって感じます。

今回は家事と育児、喧嘩した時の夫婦ルールについて
書いていきたいと思います。

家事・育児編

家事分担を決めました

分担を決めるまでは私が1人でこなしていました。
家事と育児と仕事を両立するのがだんだん難しくなってきました。
持病もあったので余計に・・・。

そこで主人に「家事と育児分担しない?」って言いました。
最初は渋っていましたが「お前がそこまできついなら・・・」と
同意してくれました。

平日は主人はゴミ出し、夕飯後の洗い物、子ども達のお風呂、歯磨き、寝かしつけを担当。
それ以外は私が担当しました。
休日は主人は子ども達の遊び相手、昼食・夕食後の洗い物、子ども達のお風呂、歯磨き、寝かしつけ。
それ以外は私。

負担がだいぶ軽くなったのでとてもありがたかったです。
今では子供達も大きくなり自分の事は自分でやるようになりました。

育児は2人でやる

上の子が産まれた時は主人は異動したばかりで仕事で
いっぱいいっぱいで両家の両親も現役だったので頼らずに
育児をこなす事ができていました。

その4年後下の子が産まれました。
1人で2人の育児をやるのはさすがにきつくなって
きました。育児ノイローゼみたいな感じになりました。
お昼下の子とお昼寝したのに夜は布団入って
すぐ熟睡してしまうくらいでした。
疲労感も寝ても取れず体が重くて思うように動かす事が
できませんでした。

「〇〇(上の子)の時は平気だったのに・・・」って
思い悔しくてお手洗いで涙をこぼす事もありました。

持病も悪化し入退院を繰り返す状態。

もうさすがに1人でやるのは無理だと思いました。
そこで主人に

「仕事で大変なのは重々承知だけど育児手伝って欲しい」

と言いました。
その言葉を聞いた主人は

「2人の子どもだし2人で育てていくのは当たり前だろ。
 頼ってくれるのを待ってたよ。」

と言ってくれました。

その言葉を聞いて涙がこぼれました。
今まで遠慮して言えなかった事も言えるようになり
育児ノイローゼもだんだんと落ち着き始めて普段の私に
戻りました。

「ありがとう」という感謝の気持ちを忘れない

主人が家事育児を手伝ってくれるようになって
重い荷がおりました。

やってもらって当たり前っていう気持ちに
なった時期も正直ありました。
でもそれは違うって間違っている自分に気づきました。

それからは主人がやってくれた時は必ず

「ありがとう。とても助かったよ。」

と感謝の気持ちを言葉に出すようにしました。

主人も「ありがとう。」と言われると最初は照れていましたが
にっこりと笑ってくれました。

感謝の気持ちを忘れてしまったらいけないって
あれから10年以上経ちますが今でも変わらず言葉に
出して主人に伝えています。

喧嘩した時編

どちらかが別の部屋に行く

私も主人も短気で頑固なので喧嘩になるととても
凄まじく厄介でした。

子ども達の前で夫婦喧嘩をするのは良くないって
ママ友に聞いた事があり何か対策ないか考えていました。

当時の家では距離を置く場所がありませんでした。
なのでどんどんヒートアップしていく一方でした。

去年の夏に今の家に引っ越してきて一部屋余ったので
喧嘩した時はその部屋へどちらかが行って冷静に振り返って
また同じ原因で喧嘩をしないようにしました。

そして時間が経ってから部屋から出てきて
お互いに「ごめんなさい」と謝る事ができるようになりました。
以前はどちらも折れず仲直りまでとても時間がかかりました。

子ども達も喧嘩の仲直りが早くなったので最初はとても
ビックリしていました。

すぐに「離婚」と言わない

以前は喧嘩する度に主人が

「もうお前とは離婚だ」
と言っていました。
それは今の家に引っ越しても続いていました。

離婚と言われ私は精神的にやられました。
家はどうする?
子ども達はどうする?
その時は働いてなかったので生活費はどうする?
ずっと頭の中をぐるぐると回っていました。

主人は「離婚」と言えば私が黙ると思ってたんだと
思います。本人に聞いていないのでわかりませんが。

もう喧嘩の度に精神的にやられるのは嫌だと思った私。
些細な事で喧嘩になり主人がいつも通りに

「お前と離婚だ」
と言ったので

「わかりました。届を役所に取りに行きます。
 子ども達の親権は私でいいですよね。」

とにっこりしながら言いました。

そして届をもらいに行こうとしたら

「待てよ」

と手首を主人に握られました。

「離婚は勢いで言ってしまったんだ。
 本当はしたくないんだ。」

と主人。

「だったら離婚って言葉を容易く言ったらダメなんだよ。
 次言ったらもう止めても実行するからね。」

と私は言いました。

「どんな喧嘩でも離婚って言わないルールにしよう。」

と私は主人に提案しました。
主人はうんとうなずきました。

それ以降喧嘩はしますが「離婚」という言葉が出なくなりました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
私達夫婦の家事育児編と喧嘩した時編の2つを
紹介しました。

まだまだルールはたくさんありますが・・・。

夫婦ルールを作るのを私はおすすめしたいと思います。
今は家族ですがその前は赤の他人同士なので育った環境や
価値観などの違いがあるのは当たり前。

それを上手くすりあわせてくれるのが夫婦ルールなのでは
ないかと私は思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。