朝目覚めたら、ぐったりと身体が重くまるで全身が鉛の様に、ベッドから出る事を、全身で拒絶している。
行かなきゃ。起きなきゃ、遅刻ちゃう、と焦ってみても、どうにもならず。全身が、とにかく重い、だるい。貧血の様に眩暈がして、天井がぐるぐると目の前で回っている。
金縛りにあった時の様に、筋肉が硬直して、動かない。ゆっくりと手足や指先をうごかそうとしても、身体全体が小刻みに震えて、眼球は痙攣している。
自分自身でも、どうにもならず、やっとのことで、ベッドから起き上がると、今度は、物凄い吐き気が襲ってくる。頭痛と耳鳴りが同時にして、ふらふらになってしまう。
脚を下ろして、立とうとすると、足のつま先から、前のめりに崩れ落ちてしまった。
本当に、何故こんな風になっているのか、意味も解らず、理解も出来なくて、どんどんパニック状態になってくる。
言い知れぬ不安と恐怖が、全思考回路を支配して、こんな自分が、何やらもどかしくて、情けなくて泣きそうになってしまった。
辛い。どうしても、起きる事を。そして、朝準備していつもの様に、出社する事自体を、自分以外の何者かの得体のしれない力によって、支配されている気すらする。
いくら体調不良といえども、重力全体が圧力をかけてくるなんて。こんな事は、初めてだった。
ストレスと軽い抑うつ状態
お堅い上司とは、気が合わず
恐らく、ストレスと軽い抑うつ状態だと思う。以前から、職場内の堅苦しく重たい他人行儀なカチッとした空気が苦手で、何時も休憩時間になると、ひとりになりたかった。
息抜きや雑談、冗談の言い合える同僚が居た時は、そこまでしんどくならなかったのに、年配のお堅い上司とは、気が合わず。
本当に、言葉を交わすことは、唯一の挨拶程度だった。
上司に気に入られていない
きっと、私は、上司に気に入られていないのだろう。そんな不安がどこかにあった。
しかし、仕事内容や仕事自体は、好きな事であったので、今までは、そこまで深く考えない様にしていた。
考えない様にすることで、自分の精神衛生を保っていたのかもしれない。仲のいい同僚が、別の仕事がしてみたいと、突然職場を退職してしまった。
メンタルの均衡が、崩れ始めていた
その辺から、とくに風当たりが強くなった気もする。とにかく考えない様に、思わない様に、前だけをみて、自分なりに、一生懸命やってきたつもりだった。
しかし、徐々にメンタルの均衡が、崩れ始めていたのかもしれない。そんな、自分一人だけの状況になって、あまりにも立場と立ち位置が弱くなってしまったので、どこか心配と不安が増大したと思える。
何をすればいいのか、完全に冷静に自分を客観視出来ないでいた。
とにかく自分の話を直接、そばで聴いてくれるひとを探した
友人や姉妹、親に、それとなく相談
自分と同じ職場の同僚や元同僚ではなく、別の。自分とは違う会社に行っている、友人や姉妹、親に、それとなく相談した。
的確なアドバイスじゃなくてもいい。多少的外れでも、かまわない。
頑張れとか、大丈夫だよとか、的を射ない回答でも何でも、とにかく自分の話を直接、そばで聴いてくれるひとを探した。
自分と似た境遇の人が見つかると、何故だか心強く
遠距離や海外に居る友人には、メールよりも、手書きでしたためた手紙をおくった。すると、彼女の周りでも、同じ環境も人がいて、自分と似た境遇の人が見つかると、何故だか心強く、一緒に頑張ろうという気に生れた。
そして、彼女からは、様々な自己啓発の本もお勧めされた。実際、私に本を送ってくれた子も居た。
普段は読みなれない自己啓発の本であったが、少しづつ読み進めると、自分が欲しかった答えに出会えたきがして、心なしか勇気と元気をもらう事が出来た。
うつ病一歩手前だったかもしれない
自分でも、図書館に行って、若い子向けでもいいので、合いそうな本をみつけた。
それと、身体が硬直して、動かなくなると困るので、うつ病一歩手前だったかもしれないが、とにかく歩いた。散歩に、公園。
普段はしない犬の散歩も自分がした。そして、自然と触れ合ったり、外の世界に眼を向けてみた。特に同年代の切磋琢磨する姿に、一番共感して励まされた。
仕事に行きたくない時のまとめ
このご時世、一億総うつかもしれない。それぐらい、今の日本は病んでいる。
お年寄りから若者まで、日本という古くからの固定概念にとらわれるあまり、そして、SNSのネットだけのコミュニケーションに特化した結果。身近な人をないがしろにしつつある。仕事に行きたくない時。
そんな時は、もうきっと誰にでもある。
それを、乗り越えていくか、自分に正直になるか。その選択は、もはやどちらでもいい。
私は、行きたくないなら、無理して行けとは、声を大にしては、いえないのだ。ただ、自分で選んだ選択に自信を持ってほしい。
自分で決めた事。自分がやろうと思った仕事。周囲の職場で関わる様々な人々。
その環境すらも、観えなかったとしても、何時しかの決断は、自分がしているのだ。
なので、気分が乱れる日があってもいいと思う。人間は、機会みたいに完璧じゃない。弱さや辛さを併せ持ちながら、自分の為に生きようと思える意欲があるか否か。
どうしても、モチベーションが上がらない時は、大きな空と、ただ輝く太陽の光を浴びて、ゆっくり深呼吸すればいい。
そして、いつもの決まったルーティーンを変えて、自分の中に変化と進化を想像しよう。嫌なことからは、逃げる事も、戦う事も出来る。
要するに、結局は、何もかも自分の成長として、己の中に残っていくのだ。