私が子育てしていて嬉しかったこと。




毎日子育てお疲れさまです。

子育てって想像以上に大変ですよね。
特に年齢が小さければ小さいほど・・・。

私は2児のママで今は2人とも大きくなり
自分で何でもでき善悪の区別もできるので以前より
大変だとは感じなくなりました。

でも2人が小さかった頃はとても大変で
「24時間じゃ足りない」って思っていました。
しかも2人は性格が真逆だったので接しする態度や
言葉を選んでいました。

しかも主人は仕事人間なので全くに等しいくらい
育児は手伝ってくれませんでした。
休日もパソコンを開いて残った仕事をしていました。

そして両家の両親はまだ現役だったし自宅から遠かったので
預ける事もできませんでした。

今でいう「わんおぺ育児」です。

育児サークルと2人が寝た後が唯一の自分の時間
で育児日記をつけたり趣味を楽しんでいました。

そんな中でも「2人を産んで良かった」と思える
嬉しいことがたくさんありました。
全部は書ききれないので印象に一番残っていること
について書いていこうと思います。

娘編

お姉ちゃんぶりを発揮してくれた事

娘がお姉ちゃんになったのは4歳半の時。
最初は独り占めできていたのに息子に取られて
しまったのが悔しかったのか赤ちゃん返りが
とても酷かったです。

でもその赤ちゃん返りも
「自分はお姉ちゃんだ」と娘自身が自覚したのか
日に日におさまっていきました。

それからお姉ちゃんぶりを発揮してくれました。

私が手が離せない時は息子と遊び相手をしてくれました。
オムツ替えをしようとすると私が何も言わなくても
オムツ替えセットを持ってきて汚れたオムツは捨てて
くれました。
息子が泣き始めると
「ママ~、〇〇(息子)が泣いてる」と教えてくれて
私が行くまでおもちゃなどであやしてくれました。

最初は1人っ子の方が良かったのかなって思いましたが
お姉ちゃんぶりを発揮するようになってからは
弟妹を作ってあげてよかったなって思いました。

反抗期真っ最中のある日のこと

娘は中学生になって反抗期に入りました。
先輩ママや周りから
「女の子の反抗期は大変よ」と聞いて覚悟は
していましたがここまで大変だとは思っていませんでした。

私が何を言っても無視、気に入らないことがあれば物に当たる。
「ウザイ」「消えて」等とにかく口が悪い。
しまいには取っ組み合いの喧嘩になり主人と息子が仲裁に入る
こともしばしばありました。

仕事から帰ってくるとテーブルの上に手紙が置いてありました。
表には娘の字で「ママへ」と書いてありました。

何だろう?

開けてみてビックリ。
手作りのバースデーカードでした。

そう。その日は私の誕生日。
いつもはツンツンしてる娘が誕生日を覚えただけ
でも嬉しいのに市販のではなく手作りしてくれた。

夕飯の時に娘が自分の部屋から出てリビングに来たので

「〇〇(娘)バースデーカードありがとうね。
 とてもママ嬉しかったよ。」

と伝えると照れ隠しなのか聞いてないふりをしていました。

中学校の卒業式の時のこと

娘が中学校を卒業する日がやってきました。
すさまじかった反抗期も終わりに差し掛かっていました。

受付を済ませると「封筒をお受け取り下さい」と
言われたので娘の名前を探して封筒を受け取りました。

卒業式のしおりだけにしてはなんか重い。

クラスごとに分かれていたので空いている席について
封筒を開けてみました。

そうするとしおり以外に手紙と手作りのアルバムが
入っていました。

まずは手紙を読みました。

「毎朝起こしてくれてありがとう」
「おいしい料理を毎日作ってくれてありがとう」
「第一志望の高校に行けなくてごめんなさい。
 ママの言う通りちゃんと勉強していれば行けたかも
 しれない」
「ママに酷い態度をとってごめんなさい」

などと娘の字でびっしりと書かれていました。

そして手作りのアルバムを見ました。
生まれた時から今までのことを写真と共にコメントが
添えられていました。

「そういうこともあったな」と私も娘を妊娠してから
今日までのことを振り返りました。

そして最後のページには

「これからはママに起こしてもらうのではなく
 自分で起きます。」
 
「第一志望ではないけどちゃんと通って高校を
 卒業します。」

「ママに反抗しないでちゃんと言う事を聞きます」

「私の事産んで育ててくれてありがとう。
 これからもよろしくお願いします。」

そう書いてありました。
読んでいる途中から涙があふれてきました。

娘はそういう風に思っているんだなって
私は母親としてちゃんとできていたんだなって
嬉しくなりました。

息子編

担任の先生からの電話で・・・

息子は軽度の発達障害があり多動な部分があり、
担任の先生から「落ち着きがないんです」と電話が
きたりしていました。

ある日電話がかかってきたので出ると
担任の先生でした。
正直「またか・・・」って思っていました。

いつもと担任の先生の声と違いました。
「あれ?」と思いました。

聞いてみると運動会で三代目のランニングマンをやる事になり
みんなで練習していたら息子がクラスで一番最初にできるように
なったと。
そしたら息子は全く自慢せずに出来ない他のクラスメイトに
手取り足取り教えてくれているのでとても助かっていますって
いう担任の先生の嬉しそうな声。

話を聞いてホッとしたのと同時に息子は名前の由来の通り
人に優しい男の子に育っていることが実感できたのでとても
嬉しくなりました。

運動会の予行練習までには息子のクラスは全員できるように
なったそうです。

私の体調にとても敏感

私は持病をもっており薬を服用が欠かせない体でした。
なので体調が良い日もあれば悪い日もありました。
一番状態が悪い時は入院をしていました。

朝起きてから何だか体調がいまいち。
いつも通りに起きてきた息子は私の様子を見て

「お母さん手伝ってあげる。ぼく何すればいい?」

と言いました。

「ありがとう。大丈夫だよ。」

と言うと息子は

「お母さん今日は体調悪いでしょ。ぼく手伝うよ。」

と言いました。

息子はまるで私の体調の様子やリズムが理解してきたのか
体調がいまいちだったり悪かったりする時には必ずそういう
風に聞いてきました。

申し訳ない気持ちと同時に自分の体を労わってくれている
息子の気持ちがとても嬉しかったです。

大事に使っていてくれていた物

ある日主人と息子と3人で出かけた時がありました。

その時に息子が汗拭きタオルをカバンから出して
私はビックリしました。

それはなぜか?

息子が保育園が年中クラスに上がった時に
フックに引っ掛けるために紐をつけました。
その紐の色は息子と一緒に手芸屋さんに行って選びました。
その時に作ったタオルだったからです。

「今も使ってくれてるんだ」って息子に言うと
「うん。」と照れくさそうな顔をしながら返事を
してくれました。

裁縫が苦手な私はかなり苦戦しました。
なので卒園して8年経っても使ってくれていたので
とても嬉しかったです。

まとめ

私が育児をしていて嬉しかったことについて
書きました。
まだまだここには書ききれないくらいたくさん
あります。

子供の成長ってあっという間。
昨日できなかったことが今日はできるようになってたり。
主人は育児に無関心だったので嬉しく感じたことは
育児日記に書いたり両家の両親や仲の良いママ友に
話したりしていました。

その育児日記は2人が20歳になったら渡そうと思っています。
日記を見て2人はどんな反応するのかとても楽しみにしています。

毎日育児大変ですが嬉しいこともあります。
それは小さなことだったり大きなことだったり・・・。
育児お互い頑張りましょうね。

最後まで読んでくださってありがとうございました。