仕事に行きたくない時というのは、当日の朝ふと感じるものではない。
それは前日の仕事終わりから始まっているのだ。
疲れた、なんとなく気だるい、家にまっすぐ帰るのが嫌だ、寄り道したい、一杯飲みたい。そんな憂鬱な気持ちになるのが始まりである。
お酒を飲んで忘れられるものなら大事ではない。本当に辛いのは、飲んでもスッキリしないものなのである。
そしてそんな時は大抵飲み過ぎてしまう。
明日の仕事のことを考えるとなんとなく酔えない。ああ、明日も仕事なのに、飲んでいる場合ではないのに。
そんなことを考えながら杯数を重ねても楽しい気分にはなれない、ストレス解消のために飲んでいるのにおかしいものである。
そして次の日の朝仕事へ行く足取りは、二日酔いのためにさらに重くなってしまうのだ。飲まなければよかった…何度そう思ったことか。
でもその時はお酒が唯一の逃げ道だったのだから仕方ない。
社会人なのだからお酒はほどほどに、飲まれないように嗜む程度にね、なんて小言を言われてしまうが、全くもってその通りである。
とりあえずお昼休みまでは頑張ろう、それが過ぎたらとりあえず終業時間まで頑張ろう、とりあえず次の休みまで頑張ろう、そんな延命措置をしながら毎日仕事をこなすのである。
人には向き不向きがあるのは本当
会話なくしては成り立たない
不動産業の賃貸営業事務。
事務と聞けばデスクワークをイメージするが、不動産業のそれは、席について机に向かっている時間の方が実は少ないのではないかと思う。
アパートやマンションを借りに来るお客様に、家主様から預かった物件を貸すという仲介業務を行うのだが、人と人との間に入るのだ、対面して、会話なくしては成り立たない。
人と話すことは嫌いではない
コミュニケーション能力が叫ばれて久しいが、人には向き不向きがあるのは本当だろう。私は人と話すことは嫌いではない、話題を提供するために勉強することも嫌いではない。
でもなぜだか、人と話した後にどっと疲れてしまうことがある。あれ?さっきまで楽しく話していた気がしたんだけどな…と自分でも不思議になることも少なくはない。
仕事に行きたくなくなるのはそれだけではない。
営業という名が付いていればわかる通り、月の売り上げ目標というものが存在するのだ。長所なのか短所なのか、私はA型の完璧主義者である。
会社の中で居心地の悪い思い
月末に近くなり、売り上げが目標に届かないとなると、気が気ではない。届かなくてもマイナス査定はないのだが、自分の力のなさを責め、会社の中で居心地の悪い思いを勝手にしてしまうのである。
誰も悪くない。そうなってくると、仕事に行きたくない時の原因は、自分の感じ方のせいなのかもしれないと思ってくるのである。
仕事が憂鬱に思える日は、お昼ご飯を豪華にするのも一つの方法
単調な作業に切り替えよう
仕事に行きたくない時は、行きたくないと思う以上仕方ない。
マイナスの穴埋めをするために、プラスの要因を増やす。仕事をしていても、楽しいと思えることをするしかない。
人と話すのに疲れたら、単調な作業に切り替えよう、急ぎではない契約書を今作ってもいいし、皆が使う資料の整理をしてもいい。
なんなら、見やすくなったと周りから感謝されるかもしれない。仕事にはこなすべき順番があるが、予定内であれば順番を入れ替えたっていいのである。
そんな風に半ば開き直りながら、日中を過ごす。
外出ランチをするのは得策ではない
腹が減っては戦はできぬというが、仕事が憂鬱に思える日は、お昼ご飯を豪華にするのも一つの方法である。
昼休みは事務所でとる他、外に出て食べることもできたのだが、仕事に行きたくない日に外出ランチをするのは得策ではない。
気分転換にと外に出て気持ち良く食べ終わった後、また戻らないといけないという罠が待っているからだ。
人に作ってもらうご飯というのは美味しい
そんな時は、いつもの自分の手作り弁当ではなく、近所の仕出し弁当をご飯大盛りにして頼むに限る。分厚い卵サンドでもいい。
人に作ってもらうご飯というのは美味しいものだ。と同時に、家に帰ってお弁当箱を洗うという煩わしさからも解放されるのである。
仕事に行きたくない時のまとめ
仕事に行きたくない原因というのは人の数と同じ分だけあるにちがいない。
通勤距離が長くて疲れる、仕事に慣れない、仕事が好きになれない、苦痛な作業がある、ヘマをした、ヘマをされた、理不尽なことで怒られた、プライベートが上手くいかない、それでも仕事に行かなければならない。
それら根本的な原因を解決すれば、仕事に行きたくないと感じることも無くなるかもしれない。けれどそれは簡単なことではない上に、解決すればまた別の問題が発生するということも容易に想像できる。
では私たちはどうすればいいのだろうか。些細なことでも楽しいと思えることを増やすしかない。一日や一週間の終わり、トータルで考えた時に楽しいことが多ければ勝ちなのである。
そして私と同様に、自分の力のなさを責めるようなことがあれば、肩の力を抜くように声をかけたい。
努力は報われる、この言葉がたとえ嘘だったとしても、自分の頑張りは自分が一番知っている。
今はまだ実を結ばなくとも、明日の自分は成功しているかもしれない、来月の自分は輝いているかもしれない、未来の自分に託して今はできることだけ頑張ろう。立ち止まっても、わずかにしか進めなくても、後ろを振り返った時に、ここまで来てよかったと思えることが勝ちなのだから。